なごみ農園は「ぶどうの里 青野」にあります。「ぶどうの里 青野」は、半世紀にわたる西日本有数の「ベリーA」栽培の歴史で培われた、この地域の呼び名です。
しかし近年、新しい品種、特に「大粒・種なし」品種へ切り替える農家が後を絶たず、青野の多くの「ベリーA」は姿を消しました。日本の20世紀後半を通して食された「ベリーA」を、「ぶどうの里」はそれらの歴史と共に、忘れてしまおうとしているのでしょうか。 絶えざる新品種の導入によって、ぶどう畑が先物取引の現場と化した農業は、農村の精神的、文化的な営みに対し無自覚である代わりに、世界的な原油価格の変動に一喜一憂します。ぶどうを約2ヶ月早く収穫し出荷するために、ビニールハウスは、真冬から石油を燃やして暖められるのです。「実りの秋」ではなく「お中元」の時期に市場に出荷できるようにぶどうを作ることが、今、ぶどうで農業をする、ということの意味です。 その時期のぶどうの多くが高額なのは、希少価値というよりも、単に石油代が含まれているからだけでしょう。なぜなら、石油代以上により多くの価値がある、つまりぶどうの農業が「儲かる」農業であるのなら、もっと「成功」しつつある「経営者」が育っていて、「ぶどうの里」も「活性化」されているでしょうから。
あるいは、なごみ農園は、単に無知なのかもしれません。 「ベリーA」の木を伐って「大粒・種なし」のぶどうに植え替え、それらをビニールハウスで囲んで石油を燃やす加温設備を設置するか、あるいは「ぶどうの里」での農業をやめるか、そう考えるのがここでの常識であって、いまさら「ベリーA」を栽培し続けるなど、まったく愚かなことかもしれません。 しかし、なごみ農園は、そんな愚かなことを、あともう少しだけ、やってみることにしました。なぜなら、「ベリーA」の最期に自覚的でありたいから。20世紀後半を生きた「ベリーA」から、21世紀の生き方を学びたいからです。
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