始まりはいつも成り行き でもいつか自覚が芽生える
1993年、母・和恵の実家に両親が引っ越して、数年してベリーAの栽培が始まりました。祖父が近所の農家に貸していた農地がベリーAの畑になっていて、その農家が「もうぶどうを全部やめる」ということで、その農地が返ってきたのがベリーAの栽培を始めたきっかけです。 そもそも、両親が実家に帰ったのは、農家になることさえ目的だったわけではなかったようです。 母の話によれば、ある時、母は、実父母が2人で暮らす実家の台所をのぞいたとき、ガス台に鍋が置いてあり、その中に炭になったワラビを発見しました。そして、流しの下などを開けてみたところ、全部で10数個、同じように真っ黒にこげた鍋があったの見つけて、とにかくできるだけ早く実家に帰ることを、母は決意したそうです。 そういうわけでベリーAの栽培が始まったのも、本当に成り行き上のことなのです。 しかし、どんなことにもいえるのでしょうが、母は、ぶどうの栽培を実際に始めてみると、なぜそれをしているのか、どうするべきかを考えずにいられなくなったようです。 母は、すでに虫だらけの自分の野菜畑に満足していました。自分が人に直接あげたり、売ったりするベリーAなら、積極的に農薬を使用する慣行栽培に縛られる必要はなく、また、たとえまわりの先輩農家に嘲笑されても、「無農薬」で作りたいと、自分はそうしたいと思ったのです。
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