農村の文化的、精神的な資源を編集して焼くパン。 まずは、青野地区のみなさんに食べてもらいたいなと思います。 古民家のパン工房明治初年に中古家屋を移築したと伝わる古い民家をパン工房兼芸術学研究所として使っています。ぼくから5代さかのぼる(祖父の祖父)は「栄作」という大工で、彼が建てたものです。ぼくの亡き祖父や母は文字通り、この家で産まれ育ちました。昭和40年中頃から平成21年まで他人に貸していましたが、空き家になり、まもなく手を入れ始めました。 まず最初に、風呂場があった場所に土窯を作り、ほぼ同時に、台所、居間の改修、また雨漏りを始めていたトタン屋根を修繕しました。トタン屋根の下は半世紀ほど前に葺いた小麦のかやぶき屋根があります。いずれ、自分で育てた小麦の藁で葺き替えたいと思っています。 住所 〒715-0012 岡山県井原市青野町1235 地窯(じがま)パン工房の庭、周辺の道、畑などで拾った瓦礫と、地域の赤土で作った土窯です。焼き床とアーチは備前市の国産白煉瓦を使っています。ドームの最も内側には薄い耐火セメント(キャスタブル)の層があります。それ以外はすべて切り藁を混ぜた赤土です。焼き床の上に砂の半球を作って、まず厚み1cm未満の耐火セメントで覆い、その上を赤土で分厚く盛り重ね、乾いてから中の砂を取り出す、という方法で、ドームが作られました。現在は一度火を入れ(300℃ぐらいに熱して)、1回パンを焼くと温度が下がってもう焼けなくなってしまいます。これでは薪がもったいないので、2回、3回とパンを投入できるようにしたいと思っています。さらに赤土を盛って蓄熱層を増やし、ドームを囲むように円筒形の壁を立てて、そのなかに灰を入れ断熱層とすれば、輻射熱の持続時間をもっと増やすことができるでしょう。 自家栽培小麦農薬や化学肥料を使わずに栽培した小麦を、石臼で挽いて粉にしています。小麦はニシノカオリとシラサギコムギを、自然農法の理屈を意識しながら栽培しています。はっきりいって、今のところ、自然農法と横着農法の区別が自分でもわかりません。それなりに小麦は作れています。やっていることにもっともらしい名前をつけると、角が立ちます。例えば不耕起栽培とか。通常は耕耘機で畑全面を耕すことはしない、という意味ですが、小麦の種を蒔くのにほんの少しですが草削りの道具で地面を引っ掻く必要があります。これもしない、というわけにはいかない。まあ、それでも草は根っこで地面を耕し、葉も根も枯れてその亡がらで次の生命を育む、そこに育てたいものの種を蒔く、というのはありだと思います。「自然の恵」の「自然」とは畑の草のことだと思うようにはなりました。自分のパンを焼くために栽培しているので、へたならへたなりにできた分で焼くだけのことです。 小麦の裏作に大豆や小豆などを蒔いて、二毛作を試みていますが、豆類はまだ上手く作れません。地域には荒れた農地がたくさんあるので、どんどんパンを焼いて、どんどん小麦を作らせてもらいたいと思っています。 製粉はフランス製の電動の石臼を使っています。全粒粉になるなのでパンは膨らみませんが、がつんとした独特なパンになります。 自家製ぶどう酵母農薬や化学肥料を使わずに栽培したぶどう(ベリーA)から起こした自然の酵母を掛け継ぎして使っています。使い始めて4、5年になっています。時々パンを焼かない時期があると、酵母が眠ってしまって元気がなくなりますが、また使いたい時にはベリーAのジュースを足したりして、予備発酵を繰り返し、元気を取り戻します。掛け継ぎ作業は今のところもっぱら家内の仕事です。小麦粉と塩で掛け継ぎますので、ぶどう酵母といってもぶどうの匂いはほとんどありません。ぶどうはスタート、きっかけ、という感じです。小麦粉を水で混ぜるだけでも発酵します。なので、掛け継ぎをくりかえした場合、ほとんど小麦酵母となっているはずです。酵母は遍在しているのです。 薪地域の林の倒木などを燃料として使用しています。まだまだ焼く量が少ないので、整理をした庭木などで十分にまかなえていますが、ぼちぼち山に入ってとってくる、ということを始めたいと思います。土窯はかなり丈夫だと思いますので、油分の多い(火力の強い)竹も使ってみようと思います。枯れ松の倒木も多いです。煤は多いでしょうが気にしません。どんどん使って、山がきれいになればいいな、松茸が生えるといいな、いのししの出現が少なくなるといいな、と思っています。荒神様への奉納地域の荒神神楽で福の種として奉納しています。2008年に実践した経緯や考察などを卒業論文としてまとめました。→ 卒業論文 その時の荒神神楽(福の種として撒かれる映像)の様子です。↓ |